日本の改革

日本の改革に関するブログです。あるべき改革や政策等について考えていきます。

ジョン・ブラウン(♪オタマジャクシはカエルの子♪の元歌の人)の命日に思うこと:後世が裁く政治的暴力の意味

今日12月2日は、19世紀アメリカの奴隷解放運動家ジョン・ブラウンが死刑になった日です。世界中にデモが広がった今年も師走。暴力的な政治行動の意味を考えます。

デモが重要な政治的手段となった2019年

早いもので、昨日から師走、今年もあとひと月ありません。今年がどういう年だったか、色々な振り返りがされるシーズンです。

後世が今年をどんな年と考えるか分かりませんが、とりあえず今を生きる私達に一つ目に付くのは、世界中で選挙以外のデモや暴動が政治的な手段として使われることが多かった年、とは言えるでしょう。

最近の例では、400人以上が殺される流血のデモの末に、イラクのアブドルマハディ首相が、11月29日辞任を表明しました。彼はイランが長年かけて育ててきた操り人形だったので、イランには打撃だ、とも言われています。イラン革命防衛隊のエリート部隊「コッズ」の司令官ソレイマニ将軍が政権に据えた、という経緯を、ウェッジで佐々木伸氏 (星槎大学大学院教授) が紹介しています。

佐々木氏は、イラクの「影の支配者」だったイランも、深刻なデモに見舞われていることを同じ記事で書いています。政府が11月15日、ガソリン価格を最大3倍に値上げする決定をしたことがきっかけで、首都テヘランだけではなく、イスファハンなど地方にもデモが拡大、既に死者が約450人、負傷者4000人、逮捕者1万人以上だということです。アナリストの1人は「革命以来40年で最も深刻」と指摘しているそうです。

wedge.ismedia.jp

With Brutal Crackdown, Iran Is Convulsed by Worst Unrest in 40 Years - The New York Times

イランとイラクで同時進行的に進む反政府デモについては、イラクの真の支配者であるイランの、そのまた真の支配者であるイラン革命防衛隊、そのまた支配者である中東の「ラスボス」?スレイマニ将軍の支配への反発という面もあるかもしれません。

スレイマニについては、本ブログでも取り上げました。彼の力が民衆の力で徐々に削がれるなら、誠に結構な話です。

イラン革命防衛隊がホルムズ海峡のタンカー攻撃?一司令官が中東全域を不安定化させ、イラン自身を危険に。 - 日本の改革

イランに攻撃命令出して10分で撤回。もし攻撃したら、「150人の犠牲」の先に、何が起こりえたのか。 - 日本の改革

もっとも、イラクとイランで命がけで抗議活動をする人達は、そんなことよりも目前の生活での不満を爆発させていて、結果として、イラン等の支配者が慌てている、という構図です。

ロイターの解説記事では、イラクは、「近隣諸国との何十年にもわたる戦争、国連の制裁、米国による2度の侵攻、宗派対立による内戦、2017年のIS崩壊といった歴史」を経て、1970年代以降、初めて平和になったのに、インフラは老朽化、復興は進まず、汚職はひどいという、国内の全く世俗的、経済的理由でたまった不満が、デモの原因だ、ということです。

焦点:イラクで何が起きているのか、反政府デモ膨張 SNSで宗派超え - ロイター

 イランについても、デモのきっかけはガソリン価格値上げですし、それに加えて、イラン国内での市民的自由を求める長い戦いも背景にあります。

イラン政府は、以前からアメリカ在住のイラン人女性活動家のマシ・アリネジャド氏を目の敵にしており、彼女の兄を拘束しました。アリネジャド氏やイラン国内の賛同者達は、イランでの女性へのヒジャブ(スカーフ)着用の強制に反対する運動を続けています。もちろん、ヒジャブだけではなく、女性の地位向上、権利保障のための運動です。今回のデモについて、イランの政府系テレビ局は、これは女性達が指導しており、女性の裏には外国がいる、という、中国同様のプロパガンダをしているそうです。

Opinion | Lighting Lanterns of Liberty in Dark Corners - The New York Times

「私は恐れない」スカーフを脱ぐイランの女性たち - WSJ

そのほか、レバノン、チリ、スペイン等で、デモが起きており、イラクのように、指導者の首を取るところまでいったところもあります。

ワシントン・ポストは、各国のデモの原因を、だいたい以下のようにまとめています。

レバノンでは、宗派ごとに権力を分け合う硬直的なシステムへの不満がたまったところにアプリ課税が怒りに火をつけました。

比較的豊かなはずのイラクでは国家収入の50%超が公務員給与に消えてしまい、政治的腐敗ランキングが180カ国中168位になっているという構造的問題がありました。

チリも南米では経済的には比較的成功した国ですが、OECD諸国の中で不平等度が最悪レベルで、医療や教育の不満がたまっていたところに、地下鉄料金のわずかな値上げが原因でデモが起きました。

スペインでは、以前からのカタロニアの独立運動が原因です。

www.washingtonpost.com

以上、カタロニアは民族的なアイデンティティーも関係はしているでしょうが、大体において、国内での政治的、経済的不満に基づいた反政府運動です。

イアン・ブレマー氏は、不公平に対する人々の「怒り」が反政府活動に発展する速さと激しさがすさまじくなっているとして、「先進国、途上国、あるいは民主主義国家、独裁国家を問わず」、エリート層の優遇への不公平感から怒りが爆発しており、民主主義国家でも、選挙が不満を反映する仕組みがうまく働いていない、としています。

www.nikkei.com

こうした世界的な動きについて、どの国にも共通する原因を挙げられるのかは分かりません。ブレマー氏の言う「政府への怒り」というのも、大雑把すぎる気がします。

ただ、根本には人々が感じる不公平感がある、というのは事実で、これは世界的に共通する現象と言えそうです。ブレマー氏はグローバリゼーションが原因と言いますが、あとはICT革命の進行ということもあるでしょう。

地域ごとに言えば、中東と南米については、たとえ形の上で選挙システムがあったとしても、中東では、宗教政党を前提にした政治システムが何らかの政治的不平等さを温存したり、南米では、極端な貧富の差があったりして、選挙だけでは政治を変えられない現実を作っているでしょう。それならば、選挙ではなく、デモなどの直接行動へ、というのは理由のあることです。

では、デモは平和的なものでなければいけないのか、暴力的な抵抗も許容されるのか?

奴隷解放の闘士ジョン・ブラウンは、自由の戦士かテロリストか

19世紀前半から半ばのアメリカに、ジョン・ブラウンという人がいました。奴隷制度廃止論者で、殺人を含む過激な奴隷解放運動で知られた人です。最後は、ハーパース・フェリーという町の連邦政府武器庫を襲撃して、奴隷解放の反乱を起こそうとして失敗、1859年12月2日、つまり、160年前の今日12月2日、反逆罪で絞首刑となりました。一方、彼の無茶苦茶な暴力が奴隷制度の擁護派と反対派の対立を抜き差しならないものにして、南北戦争の一つの原因になり、奴隷解放にも一つの役割を果たした、とも言われるようです。

詳しくはとりあえず、ウィキですいませんが、こちらをご覧ください。出典はしっかりしていそうです。

ja.wikipedia.org

奴隷制廃止の志は、現代の基準から見れば素晴らしいものですが、そのために、当時の奴隷制擁護派の開拓民まで殺してしまうようなテロ行為や、連邦政府に公然と反旗を翻して武器庫を襲撃するような反逆行為は、許せるものでしょうか?

彼はアメリカの歴史でも、最も議論される人物の一人だそうです。19世紀当時には、作家のヘンリー・ソローは彼を擁護しましたが、実際に奴隷解放を実現したリンカーンは、彼をぼろくそに批判しました。

私は、歴史的人物としての、ジョン・ブラウンの実像について詳しいことは分かりませんし、彼に関する議論が今でもあるというのは見聞きしていても、その中身はよく知りません。

それでも、私は、160年後のいま、日本国民の一人として考えたとき、彼の行為は正しかったと思います。

結構な昔の人物となれば、歴史学的なファクトによって分かる人物像よりも、歴史物語や伝説として伝わった人物像の方が、現実を動かす力になるのは良くあることです。

ジョン・ブラウンについては、アメリカ人にとっては生身の歴史的人物かもしれません。が、日本人はほとんどこの人の名前を知らないし、何をやった人かも知られていません。

しかし、彼の名前が入った歌のメロディーは、日本人なら誰でも知っています。「おたまじゃくしはカエルの子」とか、「丸い緑の山手線、真ん中通るは中央線」で知られる、あのメロディーです。

元の歌の歌詞は、こんな風でした。

John Brown's body lies a-mouldering in the grave,

John Brown's body lies a-mouldering in the grave, 
John Brown's body lies a-mouldering in the grave,
But his soul goes marching on.
Chorus:

Glory, glory, hallelujah,

Glory, glory, hallelujah, 
Glory, glory, hallelujah,
His soul goes marching on.

John Brown's body lies a-mouldering in the grave

ジョン・ブラウンの体は墓の中で腐っている×3

だが、彼の魂は行進を続けるんだ

グローリー、グローリー、ハレルヤ

というものです。この歌の由来については、以下のサイトで、ジョン・ブラウンの伝記的事実とともに、詳しく書かれています。

ジョン・ブラウン John Brown リパブリック讃歌の謎

この歌は、今のアメリカではリパブリック讃歌という名前になって、全然違う歌詞をつけて、アメリカ人にとって大事な歌となっています。しかし、日本人の私にとっては、この元のバージョンの歌詞が、何と言っても心を打ち、励ましを与えてくれます。

やっていることはテロリスト同然で、現に反逆罪で死刑になって、汚辱にまみれた死に方でした。それでも、目指すところは正しくて、当時の北軍の兵士を励ましたし、今になっても、この元のバージョンでもアメリカで歌い継がれています。

洗練されたバージョンはこちらで、

www.youtube.com

無骨なバージョンはこちらで、私はこっちの方が好きです。

www.youtube.com

彼は、地位も名誉もいらない、ただただあの黒人達が可哀そうでたまらない、どんな手段を使っても助けたい、自分は反逆者として罵倒されて殺されたって構わない、と思ったんではないでしょうか。でも、そんな身を捨てた行動が、奴隷制という残酷な制度を廃止するように後世を励まして、だからこそこれほど長く愛される歌にまでなったのではないでしょうか。

彼の行動というより、人間としてのあり方全体に、理屈を超えて何か訴えるものを感じるのです。そして、この単純な歌詞が、政治で何かをなそうという人間に普遍的なあり方を伝えているように感じるのです。

暴力に限らず、政治的行動というのは、いくら事前によく考えて、必死で勉強して色々な人の話を聞いて、知性と感性の限りを尽くして検討しても、何が正しいかなんて、最終的には分かりません。あとはもう、信念にそって、叩かれるのは覚悟で、決断するしかありません。ほとんどの人は失敗したうえに名前も残りませんが、少数の人は失敗しても名前が残り、更に少数の人が成功したうえに名前が残ります。ジョン・ブラウンは、失敗しても名前が残り、彼の魂はまだ行進を続けています。

香港のデモ隊による暴力については、ジョン・ブラウンのやったことに比べて、はるかに非難の余地が少ないものです。

平和的なデモが起きた当初、ある香港人が、「豚だって殺されるときは鳴く」という悲痛な声をメディアに伝えていました。逃亡犯条例のせいで、もう一国二制度の自由は終わりだ、でも、ただ何もしないで中国の残虐な支配の下には置かれない、抗議だけはする、ということでした。

その後、平和的デモをやってもダメどころか、香港警察が、それに加えて、おそらく中国の武装警察や人民解放軍であろう何者かが、すさまじい暴力をふるってくる。それどころか、拘束された人達がどんどん死んでいく、どう見ても殺され、若い女性は強姦もされている。そんなときに、豚ではない人間である香港人が、人間としての尊厳と権利のために、命がけで暴力をふるうのは、もう正当防衛どころか、香港の社会全体にとっても、国際社会にとっても良い効果を及ぼす英雄的行為であり、自由のための戦いとして、賞賛こそされるべきで、非難されるいわれなどないものです。

それでも、戦略的に見て、平和的にやった方がいい、という声はデモ発生の当初も、今もあります。

私は今や、平和的にやることの方が戦略的に愚かで、相手の暴力には暴力で応じることこそが正しいやり方だと信じていますが、これも、正しいかどうかは、後にならないと分かりません。政治的な闘争の中にいるときは、当事者にとっても、周りから見ていても、正解など分からないときはあって、そんなときは、信念にそって全力を尽くすしかありません。

香港のデモが、これからどんなひどい弾圧を受けて失敗したとしても、もう香港革命の精神は、世界中の人の心の中にしっかりと灯されました。これから香港がどうなろうと、光復香港、時代革命の精神は、死ぬことはありません。中国が民主化されるまで、そしてその後も、行進を続けるでしょう。そう信じて、現代での行動に賭けるしかありません。

香港に限った話ではありません。

香港ではまともな選挙が区議選しかないから、その区議選の結果も無視されているから、やむなくデモや多少の暴力闘争も許容される、という、図式的な説明も、ちょっと違うと思います。

私は、今の世界で、選挙がある国で行われている暴力的な抗議活動も、現世で違法であり倫理的にも批判されるものであったとしても、生きている間どう思われようが後世のためと思って起こす行動は、後になって正当化されるものはありうると思います。

ジョン・ブラウンは、白人には一応選挙権がある共和国で、自分と主張の違う人間を殺していました。それさえ、長い目で見たとき、奴隷解放に一定の役割を果たした、という物語が出来ることで、議論はされつつ、評価する声もあり、合理性を離れたところで、歌となって愛され続けています。

いま、世界中で起きている暴力も含むデモの中には、一応は選挙のある国も少なくありません。その選挙制度が機能不全であろうがなかろうが、選挙ではなくて直接行動でなければどうしても変えられないと信じて、違法と断じられ、拷問されて殺され、罵詈雑言を吐かれても、それでも自分達や他人の権利を守るためにやるんだ、という行為は、最初から歴史の法廷に判断を委ねています。現代の基準で、これこれの理由でこの行為は間違いだと言うのは簡単です。そして、そう言って間違いと断じたことも、やはり後世から裁かれることになります。

もちろん、「暴徒」を断固として鎮圧して守られる自由も民主主義もあるでしょう。ナポレオンによるパリの暴動鎮圧とその後のクーデターによる権力掌握は、フランスをヨーロッパ随一の強国として、結果としてヨーロッパ中に自由民主主義の理念を移植しました。

どんな暴力が自由と民主主義のための戦いとして賞賛され、どんな暴力が卑劣なテロ行為や愚かな革命ごっことして断罪されるのか。簡単に見分ける基準などあれば、誰も苦労はしません。ただ、現世の合理性を踏まえつつ、後世の目も意識はするべきでしょう。ジョン・ブラウンほど極端な無茶苦茶をやった人間さえ、立派に名前が残っているのですから。