日本の改革

日本の改革に関するブログです。あるべき改革や政策等について考えていきます。

ローマ教皇の訪日に思うこと:理想と現実から見る、一日本国民にとってのカトリック教会

訪日時のローマ教皇、宗教者として理想を語る姿勢には共感できました。ただ、カトリック教会の現実につき、女性差別と中国への妥協には反対です。実現が難しい理想を語る一方、実現可能な理想を実現しないのは、説得力を減殺します。

核兵器廃絶の呼びかけは、宗教者としては当然

ローマ教皇(法王)フランシスコは教皇として38年ぶりに訪日して4日間滞在、一昨日11月26日に離日しました。被爆地の長崎と広島を訪れ、「核兵器は安全保障への脅威から私たちを守るものではない」と演説し、「原子力の戦争利用は犯罪だ」と発言しました。東日本大震災の被災者らも面、犠牲者や遺族等に祈りを捧げました。

www.nikkei.com

今回の訪日での核兵器廃絶のメッセージについて、左は歓迎して右は冷笑という、いつもながらの反応です。右からの、非現実的で偽善的だ、という声は、もっともだとは思います。バチカン国際法上の国家なのだから、内政干渉だと感じるのも当然です。

それでも、宗教は、必ずしも現世で何かを実現するためのものとは限らないのですから、宗教者が実現可能性はとりあえずとして理想を語るのは当然だし、それで何かを感じる人が出るのは良いことでしょう。

フランシスコ法王の訪日のモットーは、「すべてのいのちを守るため」ということでした。いのちを守るために核兵器反対、被爆後の日本はいのちを守るために闘う目覚ましい力を見せた、東日本大震災で再び、日本はいのちを守る力を示した、今後もその力を世界に示してほしい、というメッセージです。

本ブログでは、国内外のリアリズムに基づく形で、核兵器廃絶を目指すべきと主張してきましたから、このメッセージには賛成できます。

ここであらためて、我が国の核戦略について、本ブログの立場をまとめます。国防政策は国民の意思に基づかないとかえって効果的ではないし、日本自身が核兵器を持つことは実験もできないから無理です。ただし、アメリカが中距離核ミサイルを置かせろと言ってきたら、国民の反対がある以上、反対はすべきですが、日米同盟を重視すれば、最終的には受け入れざるを得ません。これは中国と北朝鮮から国を守り、最終的にはあの体制を倒すためで、当面はアメリカの核の傘に入ることには賛成です。ただし、出来るだけ早く、核ミサイルを無力化するレーザー兵器等の開発を推進し、核兵器を時代遅れにして世界的な核廃絶を実現していくべきだ、というのが、私の考え方です。

アメリカが「日本に中距離『核』ミサイルを置かせろ」と要求したら、日本政府は受け入れるしかない - 日本の改革

ポスト核兵器の軍事技術と政治的リアリズムで目指す、本気の核兵器廃絶 ― 原爆の日に寄せて ― - 日本の改革

だから、アメリカの核兵器も廃絶すべきという主張には賛成できませんが、宗教者としての理想という意味では理解できます。

思い出話を一つすると、1980年代前半に私は高校生で、夏休みにドイツでホームステイしました。ホストファミリーに同い年の高校生のミヒャエル君というのがいて、彼は敬虔なクリスチャンでした。考え方が独特で、カトリックプロテスタントも含めて、とにかく教会という組織全てに反対、キリスト教徒はあくまでキリスト自身との個人的なつながりを信仰のよりどころにすべきだ、という考えでした。

私が帰国後、手紙をやり取りしていて、当時、大問題となっていたアメリカの中距離核ミサイルのヨーロッパへの配備について話題になりました。当時の西ドイツでは中距離核の配備に反対する大規模なデモが起きていて、それについてどう思うか、ミヒャエル君に聞いてみました。彼の答えは、あんなデモには何の意味もない、核兵器にだけ反対しているのがおかしい、通常兵器で武装していること自体が間違いだ、というのです。

私は当時驚きましたが、宗教者としての理想は、そういうものなのでしょう。

ヴォルテール哲学書簡の最初のエピソードに、イギリスのクウェーカー教徒の絶対的平和主義についての記述があります。あるクウェーカー教徒が言うには、私は(ホッブズが言うように)狼ではないし、(マキャベリが言うように)狐ではない、私は人間だ、だから、あらゆる戦争に反対している。イギリスが国を挙げて戦争での勝利を祝っているとき、私は深い悲しみに沈んでいるのだ、というフレーズがあったと思います。

哲学書簡 哲学辞典 (中公クラシックス)

哲学書簡 哲学辞典 (中公クラシックス)

 

 ミヒャエル君の意見、生き方も、(本当かどうか分かりませんが)ヴォルテールの言うところのクウェーカー教徒の姿勢も、自分には真似はできないけれど、神というものを信じる人間の一つのあり方として、考えさせられるものがありました。

教皇は更に、「いのちを守るには、いのちを愛さなくてはならない」として、「今日の先進国で見られる、生きることの意味の欠如」は、深刻な脅威だ、と言っています。教皇は、この虚無感の最初の犠牲となるのは若者である、と言って、日本の若者に語りかけました。

「生きることの意味の欠如」は、先進国に限った話でもないと思います。イスラム国の戦闘員として自爆テロを行った若者が、「人生で価値があるのは宗教とジハードだけだ」と、ネットに書いていというニュースを見て、敵ではあるけれど、むしろ哀れみを感じたことでした。

教皇の言葉でそんなことも思い出し、一方で、敵を許し愛せよというキリスト教の教えも思い出しました。未来ある若者の一生を台無しにし、多くの人を殺させるのも宗教、そういう人間への哀れみを呼びかけるのも宗教。宗教は、恐ろしく破壊的で、現代社会では正すべき部分もあり、一方で、現代社会の普遍的な価値観と両立し、それを促進する場合もありうるのだろうと思います。

www.vaticannews.va

 チラシの裏に書けばいいような個人的な話を書いてすみませんでしたが、言いたかったことは、ローマ教皇カトリック教会は、個人や組織の実態はともかく、人の心を動かす理想を語る力をまだ持っている、ということです。私のような宗教と無縁の人間にも上記のようなあれこれを思わせるくらいですから、恐らくは世界中で、諸国民の良き心をさらに強く呼び覚ましているのでしょう。

核兵器のない世界」に向けては、アメリカのカトリック教会は、現実に政治的にも動いているようではあります。何回でも書きますが、米ソ冷戦を終わらせたのは、核兵器の存在を非倫理的と感じて、この兵器を時代遅れにしようとしてSDIを始めたレーガン大統領でしたし、彼もキリスト教徒でした。

catholic-i.net

問題は女性差別と親中国

では、そんなカトリック教会は現実にはどんな問題を抱えているでしょうか。日本国民から見たときの最大の問題は、女性差別と、親中政策です。

2016年、フランシスコ協会は、カトリック教会における女性司祭禁止は永久不変だ、と発言。ヨハネ・パウロ2世のときから同じだ、と明言していました。

カトリック教会の女性司祭禁止は永久不変=ローマ法王 - ロイター

ところがその後、以前から大問題となっていた、聖職者の未成年への性虐待に加えて、修道女への性的暴行等の問題が続出。性的暴行については今年、教皇も問題を認め、フランスで男性聖職者が修道女を性奴隷扱いしていた、と認めました。

www.bbc.com

聖職者が修道女を「性奴隷」に、児童虐待問題で揺れる教会に新たな打撃 バチカン 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

この数年前から、カトリック教会内でも改革の動きがありました。女性たちが参加するVoices of Faithの年次会議がバチカン内で開催される等、性的虐待、ハラスメントや不平等に対し、ますます抗議の声を上げるようになっていました。

こうした動きに対し、教皇フランシスコは2017年、女性助祭の実現可能性を検討するための男女からなる委員会を発足させる一方、「信徒・家庭・いのちの部署」の次官に二人の女性信徒を起用する等、教会の中では改革派として頑張ってはいるようです。

しかし、教会全体ではまだまだ保守派が強いようです。カトリック教会内の女性差別については、バチカンの半公式新聞『オッセルヴァトーレ・ロマーノ』が発行している月刊誌『Woman Church World』が、批判を行っていました。女性が司祭になれないことだけではなく、修道女の無償労働や男性との地位の差別について積極的に問題点を指摘していました。これに対して、Woman Church World編集者のルセッタ・スカラフィア女史への圧力が強まり、同氏は抗議の辞任をしてしまいました。

・カトリック教会で女性の役割に変化の動きー女性たちが声を上げ始めた(CRUX) | カトリック・あい

www.cbsnews.com

教皇が教会内の女性差別問題に比較的柔軟に取り組んでいるのに、カトリック教会全体の動きは鈍い、というか、反動的なところさえあります。今年6月に教会が発表した、カトリック教育に関する文書では、「ジェンダー理論」は、男性と女性の間の相違と相互性(reciprocity)を否定し、家族の基礎を排するものだ、などと、どこかで聞いたようなフレーズまで言っています。

www.americamagazine.org

聖書の中に、女性差別または男尊女卑的な一面があったのも確かでしょう。しかし、当時のイスラエル等の父権社会の反映にすぎない部分は信仰の本質ではないでしょうし、キリスト自身は当時の社会で排除されていた女性を助けていたこと、キリスト教発展の初期段階では女性が活躍していたこと等、女性差別キリスト教の本質というわけではありません。こうした点は、昔から指摘されてきました。

https://digitalcommons.law.umaryland.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1037&context=rrgc

「神のジェンダーに関する一考察――フェミニスト神学との対論を通じて」、『宗教と社会』第4号 | 論文 | 研究活動 | 小原克博 On-Line

繰り返しますが、フランシスコ教皇自身は改革派のようで、女性差別に限らず、これまで独身男性しかなれなかった「司祭」に、既婚男性もなれるようにもしました。900年の伝統を変更した、と言われますが、逆に言えば、13世紀くらいまでは司祭も結婚してよかったということでしょう。もともとのキリスト教と違う形で変化してしまったものを元に戻したとも言えるかもしれません。教会内の女性差別等についても、少しでも早く改善するべきです。

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もう一つ、カトリック教会は、最近になって、とんでもない大間違いを犯しました。司教の任命権問題で中国に歩み寄ったことで、これはフランシスコ法王自身が犯した過ちです。

昨年9月の中国とバチカンとの暫定合意で、フランシスコ法王は、中国の公認教会が独自に選び、ローマ法王が破門とした司教7人を「追認」しました。これによって、実質的な司教の任命権を中国側に渡すことになり、教会への国家の管理が強まり、政府非公認の「地下教会」の信者を危険にさらす、として批判されています。

これは、アジアでの信徒獲得のためにやったことと言われています。フランシスコ法王は1951年に断交した社会主義国家・中国との国交正常化に意欲を見せていますが、地下教会も含め1千万人を超えるという中国の信者を取り込み、増やしたいということのようです。

これには、バチカン内部から、信仰の自由を認めない中国政府の言いなりになって、司教任命権も中国にさえ渡すような形にするのはおかしい、と強い批判が上がっています。香港教区元司教もバチカンの決定を強く批判、地下教会の信者が迫害を受けることへの懸念を示しました。

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信者数を増やすためには、中国政府の意向のままに司教を決めても構わない、中国政府に反対するキリスト教徒は迫害されても構わない、などというやり方は、絶対許してはいけません。これでカトリック教会が中国政府公認の信者の寄付金に頼るようになったら、教皇の発するメッセージも、中国寄りのものになりかねません。カトリック教会の信徒は世界中に13億人、彼らに向かって、中国の人権弾圧や対外侵略を正当化するようなメッセージを発するようなことは、許してはいけません。宗教的権威で糊塗した親中的な発信には、反対するべきです。

この意味で、教皇が来日中に、中国、北朝鮮核兵器に直接の言及がなかった、少なくとも報道では確認できていないのが、大変気になります。私は今回の教皇のメッセージは全否定はしませんし、核廃絶という中長期的な目標は共有します。実現の手段を示していませんが、それは宗教者の役目ではありません。キリスト者として示す理念に、上述のように共感できる部分はあります。ただ、バチカンという主権国家の行動として教皇の言動を見ると、中国との関係では強い疑念を持っていますし、警戒せざるを得ません。

カエサルのものはカエサルに。宗教的理想への共感は共感として、世俗的な自由民主主義と宗教的権威が妥協不能な形でぶつかるなら、優先すべきは当然、自由民主主義です。フランシスコ法王は、女性の人権には比較的理解があり、今回の訪日でも、「いのちと平和の基本的権利」を守ることを呼びかけたのですから、そのための戦いを、中国に対して行うべきです。