日本の改革

日本の改革に関するブログです。あるべき改革や政策等について考えていきます。

あいちトリエンナーレへの補助金不交付決定、検証委員会の立派な中間報告に水を差す。地方も国も、芸術支援の改革を!

あいちトリエンナーレ企画展の脅迫・電凸による中止に関する検証委員会、バランスの取れた立派な中間報告を出し、その方向で再開するはずが、政府が補助金不交付決定。一部企画展の問題のためにイベント全体の補助金不交付等、愛知県のガバナンスにも問題がありましたが、やり過ぎです。地方も国も、芸術支援の補助金交付には、アーツカウンシルでの専門家の判断を必ず入れるべきです。

愛知トリエンナーレ検証委員会の中間報告で分かったこと

愛知トリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」が脅迫と大量の電凸という、威力を含む業務妨害と中止に追い込まれた件、検証委員会が中間報告を発表しました。内容は、数多くの論点や色々な意見に目配りしてバランスが取れていましたし、結論や提言の方向も、納得できるものでした。

https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/257477_870655_misc.pdf

今回の脅迫行為等の内容もちゃんと開示されています。県による音声公開はやり過ぎだったとしても、報告書に最低限の文言を載せたのは結構でした。いかにどうしようもない行為だったかを文面から感じ取ってもらって、日本国民は、こんな愚劣で野蛮なことはもう絶対にやめるべきですし、お互いに許さない社会にすべきです。

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出所:愛知県

政治家の発言についても、中間報告では列挙されています(p18)。私としては、彼等の不適切発言について、更に強く批判してほしかったところですが、中立の立場の検証委員会では、そこまでは難しいのは理解します。

問題となった作品については、いずれも展示することに問題なし、という結論です(p36~40)。私は、少女像、天皇の肖像を焼く作品、特攻隊をバカにしたように見える作品、いずれも「芸術的な価値があるものと専門家が正式な手続きで認めたものならば」、そして、その芸術的価値が展示のコストを上回ると正式に決定されたものならば、どんな作品でも展示可能と考えます。これについては、本ブログで繰り返してきました。

「表現の不自由展・その後」の中止:芸術に政治性はつきもの。展覧会を脅迫で潰す歪んだ醜い憎悪は、自由と民主主義の敵。 - 日本の改革

政治家の言動は暴力を引き起こしかねない。あいちトリエンナーレに関する言動につき、松井一郎氏、河村たかし氏、吉村洋文氏に猛省を促す。 - 日本の改革

橋下徹氏は、メルマガで、公金を使う場合は「政治的に一方的」であってはならない、双方の立場を紹介する形にすべきだ、と主張しますが、芸術の場合に、ある政治的主張の作品とちょうど良い反対派の作品など、そうそう見つからないでしょう。

橋下徹「津田大介さんはどこで間違ったか」 必要なのは「手続き的正義」の考え方 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

それならということで、政治的要素を含む作品を一切展示しない、としたら、政治的要素を含むけれど芸術的に価値ある作品が展示されません。第一、「政治的要素を含むか」という内容の判断を行政が行うことになります。

やるべきことは、橋下氏が大阪で導入したような、中立で芸術の専門家からなるアーツカウンシルを、芸術に関する補助金交付決定での必置機関とすることです。これについては、あいちトリエンナーレ検証委員会の中間報告でも提言されています(p65)。

今回、あいちトリエンナーレと「表現の自由展・その後」の、愛知県側の最大の問題点は、こうした専門的審査委員会がまともに機能していなかったこです。少女像の展示の可否をめぐって、愛知県知事である実行委員会委員長が芸術監督の津田氏に繰り返し、展示をやめてくれないかと言っていたり(p54)、その津田氏もアートは素人のジャーナリストであり、極めつけは、「企画段階からの専門キュレーターの 参画を得ず、また最高責任者としての権限を行使して担当キュレーターを配置しなかったこと」(p59)です。これでは、作品の芸術的価値の判断自体が出来ません。一応、キュレーターはいたようですが、知事や津田氏に対して独立して、展示可否を決定できる立場になかったようです。

中間報告はこのようにして、問題点を明らかにしたうえで、脅迫は電凸は論外としても、「作品の制作の背景や内容の説明不足(政治性を認めたうえで の偏りのない説明)や展示の場所、展示方法が不適切、すなわちキュレーションに失敗」(p87)していたと断じ、準備プロセスについては、芸術監督の津田氏の問題も、県知事の介入不足という問題も指摘しました(p92~93)。

こうした提言を受けて、キュレーションを改善して誤解を招かないようにしたうえで、「表現の自由展・その後」を再開しましょう、ということになっていました。これで更に、中間報告が言うように、アーツカウンシルがきちんとできて、今回のように責任のなすりつけ合いにならないよう、海外のように財団等の公益法人が主体となる方向になれば万々歳、というところでした。中間報告は正しい方針を示していたし、県もその方向で改善をしようとしていました。

国の不交付決定の理屈「もめてたなら伝えるべき」が通るか否か

ところがその後、文化庁は、あいちトリエンナーレ全体に対する補助金の不交付を決定。大村知事は激怒して国を訴えると言っています。

文化庁の不交付決定の理由は、以下の通りです。

補助金申請者である愛知県は,展覧会の開催に当たり,来場者を含め展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず,それらの事実を申告することなく採択の決定通知を受領した上,補助金交付申請書を提出し,その後の審査段階においても,文化庁から問合せを受けるまでそれらの事実を申告しませんでした。
これにより,審査の視点において重要な点である,[1]実現可能な内容になっているか,[2]事業の継続が見込まれるか,の2点において,文化庁として適正な審査を行うことができませんでした。
かかる行為は,補助事業の申請手続において,不適当な行為であったと評価しました。

あいちトリエンナーレに対する補助金の取扱いについて | 文化庁

手続き的には、まず採択をして、それから交付決定、ということで、あいちトリエンナーレは、既に採択済で、交付決定を待っている状態でした。

採択については、専門家の審査委員会で審査して決定しましたが、その審査委員が誰かは非公表という不透明な手続きです。

外部審査委員をつとめた鳥取大学の野田邦弘教授は、文化庁から「事務的な審査であるため、委員の皆様への意見聴取は行わず、文化庁内部で決定した」との説明を受けたことを明らかにし、文化庁に対して審査委員の辞任を申し出たということです。いったん専門家が採択したものを、あとで事務的な審査だけで全額不交付なのはおかしい、という抗議の辞任です。今度は国のガバナンスもグダグダしてきました。

www.huffingtonpost.jp

国の言い分としては、採択前に、少女像の展示の可否をめぐってもめていた、騒ぎになって中止に追い込まれる危険も認識していた、にも関わらず、それを黙って申請したのだから、そもそも専門家による採択がちゃんと出来なかった、だから不交付だ、ということのようです。

 では、こうした国の言い分は通るでしょうか?
今のところ、通らないのではないか、という意見が目につきます。今回の愛知県の対応を批判してきた橋下徹氏も、いったん採択した以上、安易に取り消しを認めるべきではない、としていますし、

 また、反自民・反安倍(ついでに反維新)の人ですが、前新潟県知事の米山隆一氏も、案の定、不交付決定に反対です。採択後の後付けの理由による不交付だからおかしい、一部企画展の継続性を問題にイベント全体への補助金不交付とすべきでない、としています。また、国と県は採択にあたって担当者同士でやり取りをしているはずで、そのうえで決めたのだろうから、国と自治体の信頼関係が損なわれる、等の理由で、国を批判しています。

webronza.asahi.com

このお二人が珍しく一致しておかしいと言うのだから(笑)、政府の決定はやはり法律的にも問題があるのでしょう。

以前も本ブログで紹介しましたが、アメリカの判例では、自治体が公立美術館にある作品の展示を認めるかどうかについて、自治体には裁量権があるが、いったん展示すると決めたら、撤回は認めるべきでない、としています。

アメリカ政府の芸術への公的支援状況を紹介するPDFを読み、今回のあいちトリエンナーレ2019年の中止に思う。「裁判などでルール作りしましょうよ」 #あいちトリエンナーレを支持します : DON

Public funding of controversial art | Freedom Forum Institute

それぞれ確かにその通りだと思います。米山氏も指摘していますが、この補助金の申請期間は今年3月1日から11日と極めて短く、とにかく採択だけしよう、3月中の予算審議に間に合わせようとしたように見えます。愛知県内が展示の可否でもめ始めたのはその後。愛知県が事前に「実は問題がありまして」と伝えることはできなかったはずです。

ただ、本件の不交付決定が違法不当だとしても、立法論の次元で言えば、愛知県の今回の対応は、上述のように、色々と問題がありました。第三者性の高い専門家に判断を任せていなかったこと等について、補助金交付決定とは別に、国が問題視するなら、やむを得ないところもあります。

一方で、国は国で、この補助金で専門家がまともに審査できるような期間や体制が整っていたのか、疑問があります。応募期間が短期間ということもありますが、採択を決定した専門家の氏名も一切非公表で、応募書類の基準も、要件は色々書いてありますが、芸術性の専門的判断という点では概括的に過ぎる内容です。以前、本ブログで紹介したような、芸術文化振興財団の審査に比べて、極めてお粗末でいい加減です。

https://www.chiikiglocal.go.jp/oubo/data/bosyu_s01_0305.pdf

根本的な原因は、この文化資源活用推進事業という補助金が、もともとオリパラ大会にあわせて、ありていに言えば国威発揚と地方振興のために設けられたものなので、イベントの文化芸術的価値など、きちんと審査できるような体制を最初から整えていなかったのでしょう。だからこそ、平気で補助金交付をひっくり返すようなことをしています。この補助金の怪しさについても、以前のブログでも書きました。

「表現の不自由展・その後」の中止:芸術に政治性はつきもの。展覧会を脅迫で潰す歪んだ醜い憎悪は、自由と民主主義の敵。 - 日本の改革

要は、愛知県も、国も、補助金を出すにあたって、アーツカウンシル等の芸術専門家によるまともな審査をやっていません。こんなことでは、愛知県も、国も、もめるのは道理です。アーツカウンシルというのは、何も「芸術家」に特権を認めるものではなく、芸術に知見のある「専門家」の判断を仰ぐものです。専門家の委員会に判断をゆだねるのは、文化行政だけでなく、医療行政だろうが、環境行政だろうが、分野を問わず行われている当たり前のことですし、文化行政でも、芸術文化振興財団については、国もおおむねきちんとやっています。当たり前のことを、どの芸術補助金についてもやるべきです。

自治体も、政府も、文化芸術活動についての補助金交付決定については、アーツカウンシルを必置機関として、情報公開も徹底し、国民、住民が誤解しないようにするべきです。