日本の改革

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香港デモでの立法会占拠を支持。「過激化」との評価は一面的。「正しい」抵抗権かどうかは歴史が決める。

香港の対中デモ、立法会選挙後も、その後の暴力による衝突後も、香港市民の支持を得ています。日本では、政権の誤りを正すために暴力は必要ありません。しかし、全体主義国家の中国や現在の香港では、平和的なデモだけでなく、政治的暴力が必要な場合もあります。香港の立法会占拠は一定の効果を上げつつありますし、抵抗権として正しかったかどうかは、中国民主化の成功時に初めて分かることです。

収束しない香港デモ:立法会占拠等の暴力事件はどう見るべきか

参院選も最終盤で、舌戦もエスカレート。個人的には、どの政党にも、どの候補者にも、選挙制度自体にも色々不満はあります。それでもこうして政治的自由が保障されているのは有難いことだ、としみじみ思います。特に、香港の現状を見るにつけて、そう感じます。

逃亡犯条例反対から始まった香港のデモは、長期化する見込みです。デモの要求の重点が、逃亡犯条例の完全撤廃だけでなく、普通選挙実現にまでシフトし、これは簡単には実現しないからです。

私も一度、共同通信誤報に引っかかって、条例案が完全撤廃になったと勘違いしてしまいましたが、これは実現していません。あくまで審議延期、ということです。

それでも、あの習近平が譲歩した、というのは既に大きな成果です。最初、林鄭行政長官は、審議の「無期限延期」と言い、その後、「廃案を受け入れる」、「完全停止」と表現を強め、直近では「改正案は死んだ。改正の取り組みは完全に失敗だった」と表明。それでも、「完全撤回」ではないとして、抗議活動は続いています。

香港デモ若者過激化 条例審議延期表明1ヵ月 直接選挙や民主化要求も|【西日本新聞ニュース】

100万人、200万人もの平和的で秩序立ったデモは、世界を驚かせ、国際世論を動かしました。一方、7月1日の立法会襲撃・占拠と、最近のショッピングモール等での警官隊との衝突等、暴力を伴う場合も出てきました。立法会襲撃の際には、海外からも非難の声が出ました。7月14日のショッピングモール等での衝突では、林鄭行政長官は、デモ隊の一部を「暴徒」と呼んで非難しました。

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最近の衝突について、警官隊とデモ隊の双方が非難し合っています。警官隊にも指を食いちぎられる重傷者が出たにも関わらず、どうも香港市民の中には、デモ隊の暴力について、一定の理解があるようです。中国政府寄りの論調と言われるサウスチャイナ・モーニングポストは、当局者の声として、警官の命さえ狙われているから通常のやり方ではダメだ、という物騒な意見を紹介しつつ、過激なデモ隊を世間が賞賛していることに警官が本当に怒っている、と報じています。デモへの支持者を脅す意図でしょうが、政府寄りメディアでさえ、デモ隊との衝突時でさえ、世論の支持はデモ側にあることを認めている形です。

www.scmp.com

香港デモでの暴力行使の是非につき、最も重要な問題は、7月1日の立法会の建物の襲撃と占拠です。これは、7月1日昼間のデモとは別の団体によるものでしたが、いずれにせよ民主化を要求の一部としているのに、立法府を占拠するのはどうなのか、という疑問はあり得ます。立法会占拠の当初は、これでデモへの支持が離れることを懸念する論調がありました。

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ただ、香港の立法会は、普通選挙で選ばれた議員で構成されているわけではなく、市民を代表しない議会だ、として示威を行った、とも見ることができます。

福島香織氏の香港本土派議員へのインタビュー:立法会占拠は「許される暴力」

これにつき、福島香織氏が、香港本土派の立法会議員の鄭松泰氏(熱血公民主席:党名が檄アツ!)にインタビューをして、7月8日のメルマガで配信しています。有料ですが、一読の価値は十二分にありますので、是非ご検討下さい。鄭松泰氏は、デモ隊が突入した後に立法会の建物に入り、現場を見た人物です。

foomii.com

果たして、立法会占拠と内部での器物損壊は、許されざる蛮行だったのか?

まず、鄭松泰氏によれば、立法会占拠の目的は、「権力の象徴である立法会という建物を破壊することで、彼らの不満と要求を表現」することであり、その目的に必要な器物損壊等が行われたのみで、略奪はなかった、これは許容される暴力だ、としています。そして、香港警察の罠や中国本土の黒社会の扇動によるものではなく、前日までに決定されて計画的に行われたとしています。

そして、立法会占拠の意義について、以下のように答えています。

Q:あなた自身は、立法会占拠は意義のある方法だと思った?

A:立法会占拠という行動は、香港で初めて行われた。デモ隊は、自主的にそう決定して行動した。私はデモ隊の立場を代表して何かをいうことも、何を勝ち取ったかとか、その意義について語ることもできない。ただ、これは強いメッセージを発した象徴的な出来事だと思う。政府に対してやられっぱなしではない、という。血が流れ、自殺者もでている中で、政府の権力の象徴的建物を占拠した。これは一つの大きな“現状突破”であったと思う。

また、 EUスポークスマンやイギリスのメイ首相からは批判的なコメントがあったが、米議会は香港人権・民主主義法案を提案して、中国に圧力をかけているのは変わらず、国際社会による抗議行動への支持は続いている、としています(確かに、当時は批判の声はありましたが、一番重要な米議会の態度はそのままです)。 

福島氏自身は、100万人の平和的なデモの方が暴力を伴う抗議よりも国際社会向きに有効では、との意見のようで、そのような質問もしていますが、これに対しては、日本のような民主主義国ならともかく、選挙で選ばれていない行政長官は、どれほどの民意でも無視できる、デモ参加の人数にあまり意味はない、と答えています。

つまり、全体主義国家の圧制の下では、「数は力」ではないのです。いくら言論の力と地道な運動で賛同者を集めても、100万人、200万人が街頭に出るような大デモンストレーションをやっても、結局は無視される。もちろん、まともな選挙で自分達の意志を表明する機会もない。そんな中、絶望した若者の自殺が相次いでいるという状況で、示威行動の一つとして、立法会の建造物や器物を破壊して、強烈な反対の意志を示し、独裁者・習近平に少しでも思いとどまらせる。私も、これは許される暴力だと考えます。

ニューヨーク・タイムズも、デモ隊が最近になって民主化を要求し始めたことを報じる記事の中で、立法会占拠につき、立法会が自分達の利益を代表せず北京の利益ばかりを代弁していることへの怒りの表れだ、として、理解を示す論調です。そして、親中国派の最大の政党の創設者、Jasper Tsangでさえ、政治改革について再び議論すべきだと言い始めている、と報じています。

これは、立法会占拠以降の報道です。デモ隊は当初から、五つの要求の中に、普通選挙の実施を掲げていましたが、それが今、特にクローズアップされ、香港市民のあまりの怒りのすさまじさに、少しずつですが、習近平も、親中派の香港エスタブリッシュメントも、揺さぶられ始めているところです。

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条約改正はもう事実上不可能。習近平はまだまだ香港を捨てられない。

福島香織氏のインタビューで私が驚いたのは、条例改正撤廃について、鄭松泰氏も、福島氏も、もう「過去の話」だと認識していることです。鄭松泰氏は、「デモ行動の最終的目標は、中国政府との自治権に関する討論」であり、普通選挙を目指していくことだ、としています。
私は、デモ隊の要求内容の中心は、まだ条例の完全撤廃を求めていると思っていたのですが、7月8日より前の時点で、既に条例改正はもはや問題ではない、ほぼ達成されたから次は民主化だ、というのが香港の民主派周辺の共通理解だったようです。

ここで決定的だったのは、やはりアメリカ議会の脅しだったようです。逃犯条例が改正されれば、米国は香港も中国の一部とみなして、香港の関税優遇の特権的地位を撤廃すると言ったことで、立法会の親中議員も逃犯条例には最終的に反対にまわった、ということです。

日経の中沢克二編集委員は、習近平が(完全撤廃でないにせよ)逃亡犯条例の審議無期延期を認めた理由につき、香港はまだまだ海外からの資金調達窓口として重要であり、上海ではまだとても代替できないからだ、としています。本当は御しにくい香港ではなく、上海を金融センターに育てようとしていたのが、米中貿易戦争による本土の成長鈍化で難しくなった、としています。

www.nikkei.com

そのうえ、台湾の選挙もからんで、香港にはますます手を出しにくくなりました。習近平は年初の演説で、「台湾併合」の野心を露骨に見せていました。そして、「一国二制度」にすると言っていたのが、逃亡犯条例がその実態を暴いてしまい、蔡英文は政治的に復活、国民党も一国二制度などと言えなくなりました。

www.nikkei.com

米議会が香港から特権を奪う法律で脅しており、それ以前にアメリカ全体が超党派で米中冷戦を挑んでいる中、香港を刺激できなくなり、そのうえ、台湾独立派を刺激しないために、ますます香港には慎重にならざるを得ない、そんな国際情勢です。香港民主派は、現在のところ、こうした状況にも助けられながら、限定的な暴力行使さえ利用しつつつ、習近平との命がけの戦いを挑んでいます。

暴政に対する抵抗権は認められる。何が正しい抵抗権かは、歴史が決める。

政治的な目的を達成する手段として、暴力はもちろん原則としては否定されるべきです。しかし、中国のような一党独裁制の下、暴政が国の内外でますます強められるなか、平和的なデモだけでは、最低限の人権を守らせる政治さえ全く実現は不可能、そんな状況の人達の暴力を、誰が非難できるでしょうか?国際社会はむしろ、中国の民主化が進むのなら、デモ隊の実力行使でさえ、場合によっては、自由と民主主義のための戦いとして賞賛すべきです。

自由も民主主義もない社会で、自由と民主主義を求めて戦うときには、実力行使が必要になりうる、とうのは、歴史的に見れば当然の話です。だからこそ、抵抗権という権利が、実定法の枠外であっても場合によっては認められる権利として、まともな民主主義国家なら、どの国でも認知され、教育され、各国の憲法にもかつての抵抗権行使の歴史等が書かれているのです。

そして、ある政治的暴力がただの短慮な暴発であるのか、それとも民主化の道を切り開く抵抗権の行使であったのか、戦いの渦中ではそうそう分かるものではありません。まともな憲法がなく、人権も認められず、まともな議会もない社会では、言論も暴力も一体となった混沌たる権力闘争が戦われることになり、その中で、国際情勢も含めた様々な偶然も加わって、うまくいけば民主化に成功する、それが民主化の現実でしょう。

何が正当な暴力で何がそうでないのかは、民主主義の世の中になった後から振り返って、「思えばあの事件が抵抗権行使の最初だった」とようやく後付けで分かるようになるものでしょう。何が正しい抵抗権かを決めるのは、後世だけ、歴史だけなのです。

香港の抗議活動の今後はまだまだ分かりません。が、香港や中国では、政治的暴力の位置づけが、我々の社会とは全く違うことを忘れてはいけません。

更に言えば、我々の民主主義社会があるのも、我々が今度の参院選で自由に議論して自由に議員・政党を選ぶことが出来るのも、もともとは数えきれないほどの先人が血を流したおかげです。これを決して忘れずに、香港の戦いを見つめ続けたいと思います。