日本の改革

日本の改革に関するブログです。あるべき改革や政策等について考えていきます。

戦没者の慰霊に、新たな国立追悼施設も、靖国神社への総理・天皇陛下の公式参拝も不要。

日本維新の会マニフェストに、国立追悼施設の整備を掲げています。私は、新たな国立追悼施設は不要、靖国神社への総理や陛下の参拝も不要で、天皇陛下の慰霊の旅、千鳥ヶ淵墓苑への参拝、全国戦没者追悼式で十分だと思います。

橋下徹氏と長島昭久氏の靖国神社・国立施設化案

日本維新の会が、参院選マニフェストに、「国立追悼施設の整備」を挙げています。正確には、外交・安全保障の章の最後に、「 9条議論の前提として国立追悼施設の整備やインテリジェンスの創設」 という項目を入れています。

https://o-ishin.jp/sangiin2019/common/img/manifest2019_detail.pdf

この問題に関連して、ツイッター上で、橋下徹氏や、長島昭久氏等の発信がありました。

橋下徹氏は、維新の公約では靖国の位置づけが不明確だとして、靖国神社を国立施設にして、政教分離原則の例外として憲法改正を行ってA級戦犯分祀し、天皇陛下と総理に参拝していただくべき、と主張されました。

 長島昭久氏は、橋下氏の考え方に基本的に賛成しています。ただ、極東国際軍事裁判所の判断による「A級戦犯」を分祀というのではなく、日本の国会で主体的に、戦争指導者は参拝の対象から外されるような決議をする、という形のようです。本質的には同じ考え方です。

 橋下徹氏と長島昭久氏が、総理と陛下の参拝の実現のため、真剣に考え抜かれた主張をされていることには、一国民として感謝しますし、総理・陛下の参拝実現という目的のための政策として、十分説得力を感じます。

私も、かつては靖国神社には総理大臣が必ず毎年参拝するべきだ、と考えていました。小泉純一郎氏が総理大臣のときはそうしていたし、中韓やメディアから批判があっても、国内世論は小泉氏の参拝を支持もしていたし、戦没者の慰霊・顕彰を総理は行うべき、と考えていたからです。

戦没者追悼は、慰霊の旅、千鳥ヶ淵参拝、全国戦没者追悼式で十分

しかし、昨年、靖国神社の前宮司の小堀邦夫氏が、身内の会議の中とは言え、上皇陛下にも天皇陛下にも、不信感をむき出しにして、組織エゴ丸出しの発言をしているのをきっかけに、考えを変えました。

以前、ブログでも、『選択』2018年11月号の記事から小堀氏の発言を引用しましたが、再掲します(以下、「今上陛下」は現在の上皇陛下、「皇太子」は現在の天皇陛下です)。

「はっきり言えば、今上陛下は靖国神社をつぶそうとしてるんだよ。わかるか?(中略)今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか?」
「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん?正論を潰せるだけの準備を陛下はずっとなさっている。」
「陛下がどこを慰霊の旅で訪れようが、そこに御霊はないだろう?遺骨はあっても。違う?」

バックナンバー 2018年11月号| 【公式】三万人のための総合情報誌『選択』- 選択出版

www.kaikakujapan.com

この発言の最大の問題点は、上皇陛下が御在位中になされた慰霊の旅、内外の戦没者の慰霊のために行われてきた数えきれないほどの行幸の価値を全否定し、靖国神社での慰霊顕彰以外に意味がないと信じ切って、靖国参拝を実現しようとしていることです。

慰霊の旅は、天皇陛下皇后陛下と、日本国民及び戦争の犠牲者を出した諸国民との、かけがえのない結び付きを作り出している極めて重要な公的行為です。戦没者の慰霊の目的のためには、靖国神社への参拝等より、はるかに大きな効果があると考えます。

なぜなら、ほとんどの国民が、そして世界の諸国民が、深く首を垂れる両陛下のお姿を見て、戦没者に心から思いを致し、何のわだかまりもなく、両陛下と心を一つにすることが出来るからです。両陛下を通じて、戦没者への思いと平和への祈りで、国民の心を一つにすることが出来るからです。海外での慰霊の旅では、日本国民と諸国民とが、戦い合い、あるいは一方的に被害を与えた国民同士の場合でさえ、平和への誓いを共有できているものと思います。有難いことに、今上陛下、皇后陛下も、こうした慰霊の旅はお続けになる御意向のようです。

こうした慰霊の形を否定し、ほとんどの国民が興味を持たない神道の教義にこだわって、そして自分達の立場や主張にこだわる姿勢には、私は到底賛成できません。

また、参拝の対象が靖国とは違うとはいえ、千鳥ヶ淵墓苑には、総理大臣が必ず参拝できていますし、海外の首脳も参拝しています。全国戦没者追悼式では、天皇陛下も、総理大臣も、毎年必ず出席して、戦没者を慰霊しています。心ある日本国民であれば誰でも、8月15日の戦没者追悼式の様子をテレビで見れば、粛然として、戦没者と平和に思いを致しています。

それでも、小堀氏は、上記の発言が発覚して間もなく辞任しました(反省の色はないようで、反論を書いているようですが)。何も小堀氏のような極端な考えの人ばかりでもないだろうと思い、靖国神社禰宜・総務部長を務めた宮澤佳廣氏の著作『靖国神社が消える日』も読んでみました。小堀邦夫氏の上記発言とは全く違って、理性的で冷静な内容です。

靖国神社が消える日

靖国神社が消える日

 

宮澤氏の主張は、靖国神社を宗教法人としておくべきではない、靖国神社は高い公共性があるから、国の管理下におくべきだ、というものです。

宮澤氏が言う、靖国神社の公共性の根源とは、それが「国家防衛」という公務のために死没した人々の神霊を祀るために、「明治天皇の思し召しで」国家によって創設された、ということです。そして、靖国神社は、天皇の下に統合された国民によって、国家の平安を祈るために設けられた施設である、としています(同書第3章)。そして、合祀を行うのは、本来は天皇陛下であるべきだ(同書第7章)、だから、国の施設となるべきだ、というものです。

靖国神社の関係者にとって、この神社のアイデンティティは、そのようなものだろうという理解はできます。では、靖国神社は、宮澤氏が言うような、「天皇の下に統合された国民」の施設となりうるものでしょうか?私は、疑わしいと思います。

まず、靖国神社については、国論が分かれてしまいました。これについては、朝日新聞をはじめとするメディアも悪かったし、中国、韓国も悪かったでしょう。一方で、いわゆるA級戦犯合祀については、靖国神社にも問題はあったと思います。宮澤氏も、富田メモが出た当初、同じ時期の昭和天皇の御製を根拠に、昭和天皇の不快感は本物だと思ったそうです。宮澤氏は合祀には賛成の立場ですが、それが宮司の独断で、国民にも非公開で出来てしまうのはおかしい(だから宗教法人ではダメだ)と、主張しています。原因がどうあれ、橋下氏が言われる通り、覆水盆に返らず、です。

宮澤氏は、だからこそ宗教法人ではなく、国民にも公開された形の新たな法人にして、宮司等の独断で合祀など出来ない形にすべきだ、という主張をしています。しかし、過去の合祀までさかのぼって見直すのは恐らく反対でしょうし、長島氏のように、いわゆるA級戦犯だけでなく、戦争指導者を全て外すというのは、ハードルが更に高いでしょう。

第一、いまの日本国民が、いまの神社という組織での慰霊を国家が行う、という形を本当に望むでしょうか?この点が一番大きな問題だろうと思います。国民はおそらく、戦没者について、国を代表する人、国を象徴する人には、きちんと慰霊をしてほしい、と思っています。しかし、その際には、多少の宗教的な色はあったとしても、余計な夾雑物を挟まず、政治的な騒音のない、静謐な環境で行ってほしいと願っているはずです。

これに対し、靖国神社だけでなく、今の神社界は、特に第二次世界大戦をめぐる歴史認識では、政治化しすぎてしまい、国民にとって騒々しくなりすぎてしまいました。もう、陛下の慰霊の旅と、千鳥ヶ淵墓苑への参拝と、全国戦没者追悼式、それに折々にふれた各地域での戦没者を偲ぶ地域ごとの行事があれば、つまりは現状のままで十分です。

靖国神社が、宮澤氏の言うように、本当の意味で、「天皇の下に統合された国民」の施設となるためには、上皇陛下と上皇后陛下が行われたのと同じくらいの努力を行って、令和以降の時代の国民に心から納得されるような慰霊のあり方を考え、実践すべきです。