日本の改革

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官僚的惰性による議員立法:なぜ、強制不妊手術の被害者救済法案は、小泉政権の控訴断念のように、強く支持されないのか

今日の要点

障がい者等に対する強制不妊手術の被害者を救済する法案が、衆議院を通過。評価する声もありますが、「お詫び」の主体が「我々」とあいまい、被害者に政府から通知をしない等、問題点を批判されています。

小泉政権のときには、らい予防法に関する訴訟の控訴断念が、高く評価されました。今回、与野党は、その際の対応を踏襲する形で議員立法を行っています。しかし、当時は画期的な判断も、今の人権感覚では、救済することは既に当然。より踏み込んだ判断をしないと、政府も国会もかえって批判され続けるでしょう。

優生保護法での強制不妊手術の被害者救済法案、「お詫び」は「我々」、被害者に通知もなし

優生保護法で行われていた、精神疾患や知的障害に対して行われた強制不妊手術。法律に基づき、政府が自治体とともに、1949年から1992年までに全国で1万件を超える手術を、本人の同意を得ずに強制してきました。政府は、科学的根拠など全くないと分かった後も、長期間にわたって、強制不妊手術を全国で続けてきました。

この恐るべき人権弾圧につき、昨年、被害者の方が訴訟を起こしたことで、やっとメディアが大きく取り上げたので、

www.nhk.or.jp

 やっと国会が動き出しました。昨年から超党派議員立法をして補償を行おうということになり、昨日、法案が衆議院を通過しました。

digital.asahi.com

ところが、この法案の評判が散々です。比較的早く立法が進んだことなど、評価する声もあるものの、多くの批判があります。昨日の朝日に出ている論点を列挙すると、

1.旧優生保護法違憲性に言及がない

2.前文で「お詫び」がされているが、その主体が「我々」であいまい

3.被害認定機関は厚労省に設置する第三者機関

4.救済制度につき、被害者に個別の通知なし

となっています。

digital.asahi.com

違憲判断は裁判所によるべきということで百歩譲るとしても、お詫びの主体が「我々」で政府・国等の明示をしない点や、被害者に個別の通知をしないのは、やはり大問題です。

特に、被害者に通知をしないという点については、深刻な問題です。被害者は精神病や知的障がいの人達でもあります。毎日新聞によると、訴訟後に、被害者から自分の情報についての開示請求はほとんどなされていないということで、法律が出来ても、政府・自治体が通知をしなければ、結局、ほとんど補償がなされないままに終わる可能性が高いでしょう。

mainichi.jp

一方で、訴訟は今も続いています。最初の訴訟が先月、結審しました。判決は5月28日です。上にリンクを貼った朝日の記事によると、与野党は、この訴訟に影響を与えないように及び腰で対応していて、統一地方選の真っ最中でとにかく成立を急いだこと等、問題の深刻さに比して、どうにも全く受け止め方に真剣さが足りません。

mainichi.jp

小泉政権との違い:かつての「画期的な判断」も、官僚的惰性で前例踏襲なら、叩かれて当たり前。改革に終わりはない。

今回の対応、やり方としては、議員立法の形をとることになりました。これは、ハンセン病患者への対応の例を踏襲したものです。らい予防法で、強制隔離や断種手術等の、やはり恐るべき人権弾圧が行われてきたことにつき、被害者への救済は議員立法で行われた例によっています。
ハンセン病患者への対応について、時系列での概略や、関連資料等はこちらに出ています。

ハンセン病問題に関するこれまでの動向|厚生労働省

ハンセン病に関する情報ページ |厚生労働省

ハンセン病問題では、被害者による国家賠償訴訟につき、地裁が国家賠償を認めたうえで、立法の不作為による違憲という判断をしました。敗訴した政府が控訴するかどうかが注目される中、当時の小泉純一郎総理が、控訴しないことを政治決断しました。そして、当該判決の内容に沿った形で、全国的に被害者を救済する立法を行う、という形でした。

役所は抵抗しました。立法の不作為を違憲にする地裁判断は認められない、というわけです。それについては、被害者救済を最優先する「総理談話」とともに、法的な理屈についての役所の言い分を「政府声明」として発表する、という形で解決しました。

www.mhlw.go.jp

この控訴断念の判断は、国会だけでなく、世論からも圧倒的な支持を得ました。発足直後の小泉政権には、大きな後押しになったものです。リンク先の本↓のp77-88に、当時の経緯や反応が詳しく出ています。

小泉政権1980日〈上〉

小泉政権1980日〈上〉

 

最近、公明党の大臣のおかげだ、という記事も出てますが、まあ、「勝利は100人の父親を持つ」ものです。一面の真実かもしれません。いずれにせよ、最終決断は小泉総理によるものです。

business.nikkei.com

小泉政権の「控訴断念」は、まぎれもない勝利だったのです。今でも、俺の手柄だ、うちの政党がやったんだ、とみんなが言いたがるほどです。

これに対して、今回の議員立法はどうでしょう?このまま批判が続けば、むしろ、「敗北は孤児」というたとえの通り、責任のなすりつけ合いさえ始まりかねません。

なぜ、こんな違いが生じたのか。私は、その時代に応じた改革を行ったかどうか、によるものだと思います。

小泉政権のときは、国家賠償訴訟での控訴断念自体が異例中の異例、しかも、立法の不作為が違憲だという地裁判決を争わずに原告と和解しました。そして、判決の内容に沿った救済法を議員立法で作りました。

実は、このときの議員立法でも、お詫びの文言の主体は「我ら」となっています。

 https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/hansen/hourei/dl/9.pdf

今回もそれを踏襲したからいいじゃないか、議員立法というやり方だって当時と同じだ・・・という感覚ではダメなのです。小泉政権のときは、法的な理屈を含めて色々な障害があったものを、困難な調整も行って、当時としては日本中が驚いて喜ぶほどの画期的な解決を行いました。お詫びの文言について、批判はあったでしょうが、かき消された面はあります。

この改革の成果に漫然と乗っかっているだけではダメです。そもそも、当時と同じ議員立法による必然性がどのくらいあったでしょうか。お詫びの文言だって、政府、国会、国、等の文言をあげて、それ以外の文言でありうべき問題点を回避するとか、主体を明示する知恵はしぼれたはずです。

政府・与党だけではありません。文言の件も、通知の件も、超党派で立法にあたった立憲民主党の初鹿議員が、実に下らない、役人以上に役人的というか、いまどきまともな役人なら恥ずかしくなるような小理屈・屁理屈を並べています。

mainichi.jp

改革は、その時代に合わせて行うものです。強制不妊事件で最初の地裁判決が出た時点で、早急に法改正を行うべきです。