日本の改革

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日本の電機メーカーは、電力会社と通信業者頼みの経営で没落。政府は原発ゼロで新たな方向を示せ

今日の要点

・日本の電機メーカーの今日の没落は、電力会社と通信会社の設備投資頼みから脱却できなかったからです。

原子力産業は海外輸出も含めて行き詰まり、投資マネーも集まりません。原発は既に市場競争に負け、フェードアウトを始めました。

・政府は、原発ゼロを決断し、日本の電機メーカーに、再生エネルギーでの新たな産業創出を促すべきです。廃炉・最終処分等は国の責任で行うべきです。

日本の電機メーカーの没落の原因は、電力ファミリーと電電ファミリーの社会主義的な経営手法への依存

1980年代後半のバブル期、日本の電機メーカーは、巨大な国内市場での厳しい競争を経ているから世界中で強い、と言われていました。その頃に書かれたアベグレンとストークの『カイシャ』(講談社)という本にもそう書いてあり、私もこの説明を信じていました。

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ところがその後、日本の電機メーカーは軒並みガタガタになり、アメリカや中国の企業との競争に惨敗しました。なぜか。そもそも日本の電機メーカーの本業は家電ではなく、電力会社と電電公社の設備投資だった、そして、この二つの産業が自由化等で設備投資を大幅に減らしたからです。これは、大西康之氏の著書『東芝解体 電機メーカーが消える日』(講談社現代新書)の主張です。

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電力会社も電電公社もかつては参入規制と料金規制が敷かれており、競争がなくても儲かる体制でした。国民からの電気料金・通信料金に依存する企業のインフラ投資こそが、日本の電機メーカーの収益の柱で、家電等での競争は実は副次的なものだったそうです。だから電力自由化や通信自由化等でこれら業界の設備投資が減ったら、経営が厳しくなった、ということです。

ー電力会社・通信会社は独占と公共料金にあぐらをかいた社会主義的な経営だった。そこを顧客にしていた電機メーカーも、「国内市場での厳しい競争」どころか、実は社会主義的な経営を行っていたー

不勉強な私は、若い頃、先に紹介したアベグレンの『カイシャ』という本を読んで、日本企業は市場競争のおかげで強いと信じ切っていて、その後の不調もバブル崩壊の後遺症くらいにしか思っていませんでした。しかし、大西康之氏の本で、日本の基幹産業であるメーカーへの考え方を大きく変えました。

同書43ページのグラフを見ると、1990年代半ばから2015年頃までに、電力10社の設備投資は5兆円から2兆円へ、NTTなど通信事業者の設備投資は4兆円から2.5兆円へ、それぞれほぼ半減しています。

それならそれで、消費者向きに新たなビジネスチャンスを見つければ良かったはずです。建設会社だって、公共事業が減らされてからは住宅にシフトしていったそうですし。ところが、電機メーカーはインフラ系企業への依存がひどすぎて、それが出来ませんでした。

国策の原発依存は、日本の電機メーカーを更に苦しめる。輸出戦略も失敗し、投資マネーも集まらない。原発は既に市場でフェードアウト開始。
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日本の電機メーカーにとって更に事態を深刻化させているのが、原発です。東日本大震災以降、国内の再稼働が進まない、政府も原発新設を打ち出してくれない、それならと政府主導で乗り出した原発輸出は全敗。

昨日、イギリスでの原発建設を事実上断念した日立について言えば、敗因の主因は、再生エネルギーの発電コストが下がり、逆にコスト上昇中の原発ではかなわなくなったことです。上に紹介した日経の記事の、以下のグラフの通りです。

 

さらに、金融市場からも見放されました。記事から引用すると、「投資家の目も厳しくなった。「原発のように先行きが不透明な事業を持つ企業の株を中長期で持ちたいとは思わない」(国内投資顧問幹部)。日立も意識しており、ある首脳は昨夏「(国内では原発再稼働が進まず)膨大な資産が何の収入も生んでいない。投資家からみたらそれだけでバツだ」とこぼした」

つまり、原発は再生エネルギーとのコスト面での競争に負け、金融市場での資金調達の競争にも負けました。もう、市場競争を通じたフェードアウトが本格的に始まったのです。

政府は、原発ゼロを決断し、再エネ産業等の新産業への転換を促すべき。廃炉・最終処分等は国の事業で行うべき。

政府は、市場経済での競争の結果を受け入れるべきです。成長産業が何かは、経済産業省の一部役人が決めるのではありません。市場が決めるのです。その結果を未だに受け入れず、原発にこだわるのは、もはや日本の電機メーカーのためにも日本経済のためにもなりません。

市場経済の自然な流れを阻害しないように、エネルギー基本計画では、再エネの目標比率をたとえば40%程度、原発をゼロに設定すべきです。原発は国策で始めて国策で続けてきたのですから、市場競争によるフェードアウトの最後の最後には、政府目標でのひと押しが必要です。

もちろん、原発ゼロとした後も、廃炉と、何よりも最終処分場の建設・運営が必要です。最終処分場の運営は現在の技術では10万年かかると言いますし、日本の地盤で安全に運営できるかという問題もありますが、それでも、国内のどこかを選ぶ必要があります。日本の大量の核廃棄物を引き受ける国はないでしょうし、第一、核のごみの海外への押しつけは倫理に反します。日本政府、日本国民が責任をとるべきです。

フィンランドオンカロも、国内での議論の末、「外国からは受け入れない」という条件で立地選定・建設を行ったそうです。プラスチックごみさえ、中国に輸入を断られて右往左往している今、核廃棄物の輸出が出来るはずがありません。新しい原発すら輸出できないのですから。

廃炉も最終処分も、結局は国民の負担で行うほかありません。だとすると、国民に本当に理解が得られるエネルギー政策が示されるべきです。この点からも、国は原発ゼロを目標とすべきです。